6月5日の日記「続 新しい表現」

WEBサイトの特性を生かした文学表現として、カーソルの動きで切り替わる2枚の写真と、極限までそぎ落とした最低限の言葉で様々な心象風景を切り取るという手法を世に問うたのは、昨年5月のこと。

近代文学における画期的な「事件」であった山頭火や尾崎放哉の自由律句まで引き合いに出したにも関わらず、文学界、詩壇、俳壇からは全く注目されることもないまま(当たり前だ)1年という時が無為に過ぎた。

「新しい価値が正当な評価を受けるまでには時間がかかるものだ」と、書いたのは他でもない1年前の自分自身ではある。しかし、正当な評価というモノを求めるのであれば、己が信条を外界に向かって発し続けなければならないというのも、またひとつの真理である。

そんな心の経緯を辿った結果として、この場を借りて(自分のサイトを「借りる」というのも妙な話であるが)新作を発表させていただくこととする。

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訝しいのは、
味か、香りか、
己の舌か
 
楽しくなくても
ブランコは惰性で
 

その瞬間、
切り替えられた感情は
「叫び」という形になる

 

無の域にあった心が、
たった今、何かを探り当てた。

 
己の姿を映すスイッチが
この空間の何を変えるのか。
 
ただ、全力でこの場所へ
 
勢いよく飛び出した髭、
軟らかく わが子を地面に
 
駆け回る二人
ふと我に返る一人

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「創造」の過程には無数の分かれ道があり、その分岐の先のほとんどは思考の袋小路につながっている。「ネット時代の新しい表現」などと大上段に振りかぶり虚勢を張ってみたところで、自らの「創造」の結果に自信などはこれっぽっちも無いということをここに告白しておく。

てゆか、実はこのシリーズ面白くないでしょ。ねえ? ねえ?

 

 

 

          

 

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