8月15日の日記「伝説の名人」

ひなさんをはじめての虫取りに連れて行く夜、僕たちは伝説のカブトムシ名人の家の門を叩きました。

「・・・じいちゃん ムシトリ つれてってね」

大きな声で言うんだよとあらかじめ何度も練習して仕込んでおいたセリフなのにカブトムシ名人の前ではうまく言えないひなさん。もうお気づきの事と思いますが、人呼んで伝説のカブトムシ名人とはひなさんのじいちゃん(つまり僕の父ちゃん)の事だったのです。
 
 ※注:勢いで「人呼んで」とか書いてしまいましたが実は誰もそんな風には呼んでません。
    演出のためとはいえ多少大げさに表現してしまったことをお許しください。

■       ■       ■

以前にも書いたように、僕たちが子どもの頃は休みにどこか遠くへ連れて行ってくれるという事がほとんどなかった名人ですが、昆虫採集にはなぜか積極的で、ひと夏に何度も近所の雑木林に連れて行ってくれました。この近所の雑木林というのが虫捕り少年たちには天国のような場所で、カブトムシやクワガタムシの収穫が一晩で100匹以上にも上ったこともあります。

そんな景気のいい話は次第にうわさとして広がっていくもの。近所の友だち、親戚の子、会社の同僚家族など、名人が引率するムシトリツアーの参加者は次第に広がっていきました。それが虫の乱獲につながり、獲物の数は年々減っていきましたが(当たり前だ)、僕たちが大きくなって虫に興味がなくなってからも、どこからか虫捕りに行きたいとの声があれば、名人はそれに応じていそいそと山へ出かけていくのです。

そして時代は巡り、ついに孫であるひなさんを連れての虫捕りに行くことになったカブトムシ名人。実際は東京の姉んちの孫娘2人と何度か山に入っているのですが、何しろ今回は本人が虫捕りに並々ならぬ意欲を持っている初めての男孫です。名人も気合の入り方が違うはずです。いや違ってもらわねば困る!(別に困りはしないが)

刻め! 新たな時代の伝説を!

こうして、名人が運転する車で僕にとっては懐かしい、そしてひなさんには初めての山へ向います。山といっても僕たちが住む住宅地にすぐ隣接していて、車を停めるポイントまでは2〜3分といったところの場所です。近い。実に近いレジャーです。しかも安上がり。子どもの頃、僕たちを山に連れて行ってくれた名人の心の中が、自分自身が親になってはじめて少し理解できたような気がしました。

■       ■       ■

時刻は夜の8時。天気予報は雨。「夕立に降られない?」と心配するみきさんに、「大丈夫、山の中は木の葉が覆っているから思ったほど濡れない」と言っているそばから大粒の雨。遠くからは雷鳴が響いてきました。さらに心配そうな表情のみきさんに、「高い木の下にいれば雷は落ちないから」と、あくまで強気の名人とその息子。後でわかったことですが、このとき愛知県地方には大雨洪水警報雷注意報が発令されていたそうです。全然大丈夫じゃないじゃないか。

そんな事も知らずにカブトムシのいるポイントに足を進めるとさらに大きな障壁がわれわれの前に立ちふさがりました。


障 壁

なんと土地の管理人によって山の周りに高さ2.5mほどのフェンスが張り巡らされているではないですか! 「去年はこんなモノはなかった」名人。次第に強くなる雨。事情の飲み込めないひなさん。正直帰りたいと思っているであろうみきさん。でも、こんなことであきらめるカブトムシ名人ではありません。


頑張れ名人!
障壁なんて乗りこえろ!
かわいい孫のために!

名人に続いて僕も壁を乗り越えます。しかし、さすがにひなさんとみきさんにはこのフェンス越えは困難です。結局、乗ってきた車に退避してもらうことにして、名人と僕はさらに山の奥に歩みを進めました。


車に戻ってしばし待て

それにしても、父親と2人きりで昆虫採集なんて何年ぶりでしょう。まあ、こんな状況になったところで、積もる話をするでもなく、「いた?」「おらん」と必要最小限の会話を交わすのみ。冷静に考えるといい年をした親子2人で懐中電灯もって黙々カブトムシを探す様子を表現するのために「滑稽」以外の言葉が浮かびません。ああ、恥ずかしい。


口数少なく山中を進む名人

 
ところで名人。ぞうり履きでいいのか?
マムシが出るらしいぞ。

山をなめてるのか? 名人のクセに。

近づく雷鳴を聞きながら、カブトムシが集まる木を訪ね歩く僕たち。しかし、かつてあれほど大量のカブトムシが群がっていたクヌギやアベマキの木には、全く虫たちの姿が見えません。雨の日は多少虫の発生は減るものですが、木からは樹液のにおいすらせず、たとえ天気がよくても期待ができそうにない雰囲気です。

こうして大雨の中30分ほどかけていくつかのポイントを巡ったのですが、結局収穫はゼロ。車で待つひなさんに吉報を届けることはできませんでした。仕方がないこんな日もある、と言いたいところですが、名人にとってもこんな事は初めてでしょう。

■       ■       ■

名人の分析によると、周辺の開発が進んだせいで山の環境が変化したことや、これまで虫に食料を供給していた木々が成長期を終え、樹液を分泌しなくなったことなどが原因となって、山全体から虫たちが姿を消してしまったらしいとのこと。この説を裏付けるように、2日後にリベンジをかけて名人と同じ山に入ったものの、天気がよかったにも関わらず、またしても一匹のカブトムシも捕ることができませんでした。僕たちが大人になったのと同じように、山も年をとったってことだね。

ひなさんがまだ虫捕りの意味をあまり理解できていないので、一匹も収穫がなくても別に気にする様子がないのが救いではあります。とりあえず、じいちゃんには来年の夏に向けて、確実にカブトムシを捕獲できるポイントを新たに開拓しておいてほしいものです。そう、伝説のカブトムシ名人の名にかけて!

《追記》
虫が捕れなくてもひなさんが大人しくしているのは、実は航ちゃんから預かっているカブトムシがにしやんたちの好意で、まだ家にいるということもあります。そんなある日、エサの交換をしながら水槽の中の土をいじっていたら、なんと産んだばかりのカブトムシのタマゴを発見してしまいました。


タマゴ

ひなさん、「タマゴ! タマゴ!」と意味もわからず大喜び。ここで、虫を航ちゃんに返すと言ったら、この前以上に落ち込んでしまうのだろうなあ。

 

 

          

 

[PR]動画