4月25日の日記「コミュニケーション」

言葉をしゃべり始めた頃から、ひなさんは僕とみきさんの事を「パパ・ママ」と呼んでいます。これはみきさんが教えるのが面倒だからという消極的な理由で「おとうさん・おかあさん」を採用しなかったせいです。

ところが何を思ったか、今年に入ってからみきさんが突然「おとうさん・おかあさんと呼ぼうキャンペーン」を展開。そのおかげでひなさんは気分しだいで「パパ」「おとうさん」「ママ」「おかあさん」を気分しだいで使い分けるようになっています。

一方、呼ばれる方の僕たちはというと、みきさんはひなさんに対して「おかあさんはね…」などと話しかけているのですが、僕はどうも自分のことを「パパ」だの「おとうさん」だのと名乗ることに抵抗があるというか、正直まだ照れくさいので、一人称は「僕」で通しています。

すると、ひなさんの中で「パパ=おとうさん=ボク」という図式が出来上がってしまったようで、ときどき僕のことを「ボク」と呼ぶようになってしまいました。

どうもわかりにくいので実例をひとつ。

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ある日曜日。お出かけのために新しくおろした服をひなさんに着せながら
「わあ! この服カッコイイねえ!」
と大げさにおだててみました。するとひなさん、やはり嬉しいのかはにかんだような表情を浮かべたかと思うと、にっこり微笑んで僕の肩をポンと叩いて一言。

「ボクも、カワイイよ」

ここでいう「ボク」というのは父親である僕のことです。ややこしいなあ。
それにしても人様に「ボク」と呼びかけられるのは、小学生の頃以来だと思います。しかもカワイイって言われちゃったし、2歳児から。

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もうひとつ実例を。

ある晩、仕事から帰ったときのひなさんとの会話。

「ひなさん、今日は何をしてたの?」

「どうぶつえん、いってきたの。ばあちゃんと」

「すごいねえ。どうぶつえんには何がいた?」

「とらさんがいた」

「トラさん? トラさんは何をしてたの?」

「うんちしてた!」

あたかも今日の出来事のように嬉しそうに話すひなさんですが、おばあちゃんに動物園へ連れて行ってもらったのはかれこれ1か月くらい前で、トラさんのウンチの話も2日に1度くらい聞いているような気がするのですけど、まあ、いいや。お話を続けましょう。

「そうかあ、ひなさんいいなあ。動物園に行けて」

と、うらやましそうにしてみると、急に真顔になったひなさんじっと僕の目をみつめて一言。

「ボクも、いきたかった?」

どうやら、今僕は2歳児から同情されているようだね。それはそれで面白いので、流れにまかせてさらに会話を続けてみます。

「うん。僕も動物園行きたかったなあ」

するとひなさん、今度はしょんぼりと泣きそうな表情になって、

「・・・ひなくんも・・・いきたかったなあ」

いや、誰に嫉妬しているんだ、ひなさん。君は行ったから、動物園。トラのウンチを見たのも君だから。

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こんな風に意味不明な展開もありますが、ひなさんのコミュニケーション能力が日に日に向上していくのを実感する今日この頃。次にどんな言葉が出てくるのか予想ができないという点でも、今は会話をするのが一番面白い時期なのかもしれません。

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という訳で、「パパ」だろうが、「ボク」だろうが気にせずに自由にさせていたところ、ある日突然ひなさんが僕に向かってこう呼びかけてきました。

「ちち!」

何? 父? 乳? 確かに「父」ではあるけど、「乳」なら違うぞ。僕が「ちち」であるなら、あの人は誰なんだい? と、みきさんを指差すとひなさん、

「はは!」

どうやら「父」「母」を正確に使い分けている様子です。誰が教えたんだ? またみきさんの新たなキャンペーンなのか? などと、思っていると今度はひなさん自分自身を指差して、

「タロウ!」

ここでようやく合点がいきました。なるほどひなさん、わが家を、遠くM78星雲・ウルトラの星の家族構成になぞらえているんだね

それ以来ひなさん、「ねえ、ねえウルトラの父(ちち)さん!」などと話しかけてくるようにもなりました。

「パパ=おとうさん=ボク=ウルトラの父さん」

好きにさせていたら状況はどんどん複雑化するばかりのようです。でも正直なところ、次にどんな呼び名を考えてくれるのか楽しみになってきているので、これからもずっとこの件に関してはひなさんの自由にさせてみたいと思っています。

 

 

          

 

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