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2003年3月
ひなと雛の駄洒落ですね。まあ季節モノということで。足助町のイベントに出かけたときの一コマで、この日は古い町並みにたくさんの雛人形という舞台設定の良さから、いい写真がたくさん撮ろうと張り切っていたわりに、結果が今ひとつで残念だったような記憶があります。
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2003年2月
いや、豪快に笑っていますね。2年目にはめっきり見られなくなった、育児サイトの王道を行くトップ写真。画像ソフトで目の中に星を入れてみたのですが、今見るとちょっと不自然ですね。やはり、余分な手を加えないほうがいいみたいです。
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2003年1月
にしやんの実家からいただいた帽子とマフラーが大変気に入ったので年賀用の写真の衣装として正式採用。屋外で膨大な枚数を撮影した中の一枚ですが、陽の光を浴びて、いかにも「ひなた」って感じのいい写真じゃないですか。などと自己満足に浸ってみたりして。
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2002年12月
トップ写真としてはこれまでで一番反響の大きかった一枚。場所は名古屋市内のファッションビルの吹き抜けあるパティオ。ひなさんが上を見上げているのは、雪が降ってきたからでも神様が降りてきた訳でもなく、「写真撮るから動かないで!」とみきさんが2階で叫んでいるからだ。
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2002年11月
いつ撮ったのか、どうして選んだのかほとんど記憶にありません。場所はうちの居間にあるソファーの上。意味もなくひなさんをじゃれあっていたときに偶然撮れた一枚だと思われます。自信はないけど多分そうです。
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2002年10月
西日を浴びて秋らしい色彩の写真が撮れたのでトップ写真にしてみました。本当は背後にスーパーのレジ袋があったのですが、画像ソフトを使って消してしまいました。これを捏造と見るか演出とみるか問題となりますが、どうかここは演出ということで手を打ってください。
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2002年9月
スタジオ撮影会の日の朝の一枚です。この写真撮ったときはとてもご機嫌だったのですが、この後スタジオで号泣することになるのだ。これくらいの表情で撮影会に望めていたら今頃モデルデビューを果たしていたかもしれないと思うと残念です。
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2002年8月
遊びに連れて行ってくれたひげおじさんの車の中で撮影。何やらアンニュイな雰囲気を漂わせておりますが、これは寝起きだからです。この後、川遊びデビューで泣き、犬デビューで泣き、というひなさんにとっては本当にアンニュイな一日になるのですが。
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2002年7月
掲示板を設置したことでお客さんが凄い勢いで増えはじめた月です。この頃はさすがにひなさんもすっかり赤ちゃんですね。撮影はみきさん。この頃のみきさんはいい写真を量産していたものですが、最近はちょっとスランプのようです。
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2002年6月
「ひでちゃんが来た」や、「ひなた百景」などをハイテンションで書いていた頃。1日のヒット数はほとんどヒト桁でしたが、今よりさらにストイックにお笑いサイトとしてのあるべき姿を追求していたような気がします。考えて見れば実に孤独な戦いです。
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2002年5月
このトップ画像に見覚えがある人は確実に身内です。実はこれもにしやんの車の中で撮った写真。背景は画像ソフトを使ってペタペタと匠の技で丹念に塗りつぶしたものです。この当時は時間があったんだなあ。
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2003年4月
サイトオープンしたときのトップ写真。改めて見るとひなさん変な顔だ。何でこの写真選んだんだろ。背景のグレーは僕のセーターだ。袖口もはっきり写ってる。そんな粗の多さから初々しさを感じる写真と言えなくもないですね。
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番外1 2002年10月
ひなさん1歳の誕生日から10月末まで十日間だけトップを飾った写真。今だったら、ケーキ出した瞬間にひなさんがイチゴをつまみ食いするだろうから、こんな写真はもうきっと撮れないでしょう。
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番外2 2002年9月
サイト開設半年を記念して自分の書いた日記の人気投票を常連さんに強いるという思い上がったイベントで使用した画像。ひなさんが歩き始める直前、知多半島の魚市場に遊びに行ったときに、買い物をするみきさんを待つ間に撮ったものです。
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番外3 2002年7月
ひなさん海デビューのために日記の更新を一回休みますという告知のために1週間だけトップに掲載した写真。この1週間のために衣装から小道具まですべてそろえてプチ撮影会をしました。実に無駄なエネルギーの使い方ですが、掲示板効果でお客さんが沢山来てくださるようになってひどく舞い上がっていたんですね。
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前にも書いたことがあるかもしれませんが、このサイトを立ち上げたのは、出産ドキュメントのコーナーで紹介しているひなさんが生まれた日の友人たちとのメールのやりとりを記録にとどめたかったというのがそもそもの動機でした。その時の様子をリアルに伝えるための仕掛けとして最適だったのがホームページという形だったということです。
そして「せっかくサイトを作るのだから」という、あまり積極的ではない理由で先のことはあまり考えずに毎週更新のお笑い成長日記をつけ始めたのですが、これが2年も続き、その上日本中に(海外からのお客様もいたな)たくさんのお友だちができたりするわけですから、人生ってのは面白いものです。